ルサよりもさらに西。比較的肌寒いとはいえ、一年を通じて穏やかな気候に覆われた地域。いわゆる西岸地域と呼ばれる一帯。そこにある近代都市タスニカ。アッタネ国に属しながらも首都からは遠く、交通の便も決して好ましいとはいえない街だが、この地域でこれほど大きな都市は珍しい。
タスニカ。おそらくこの街の名前を知る人は多いだろう。観光地としてもそれなりに評判が高く、遠方から訪れる旅行者もいる。しかし、かつて同じ名前の街がもうひとつあったことを知る者は、そう多くはないだろう。
街の中心部から少し外れた小さな広場。あたかも目立つことを避けるかのように、そこに建てられた像がある。鳥かごから空へ、羽ばたこうとしている鳥の像。この街の歴史に隠された真実を知る者だけが、そこに意味を見出すことができる。
かつて存在していたタスニカという街。それは、アッタネの隣国である某国にあった。その街にはかつて、“空割り”の教えを伝える導師が住んでいた。そしてその教えは、タスニカの人びとの間で、細々と受け継がれていた。異端の教えを住民が共有する街。その当時の西岸地域で言えば、異教徒の街だったと言っていい。
タスニカは街そのものが政府からの監視を受け、住人は当たり前のように外を出歩くことすらできなかった……と伝えられている。
そんな状況で、かの民族弾圧が表面化したのである。当然、タスニカの民はそれまで以上の迫害を受け、もはやその国での幸せな暮らしは望めなかった。
タスニカの人びとは自由を求め、国と、生まれ育った街を捨てて、旅立ったという。目指す先は、隣国であるアッタネ。
はじめはごく少数の、使命を負った者たちがアッタネを目指した。かの民族問題には無関係を通していたその国へ事の次第を伝え、移民の協力を請うためである。彼らは広い街道を通るわけにはいかず、道なき道を自らの足で歩いた。西岸地域の広大な平原。徒歩で踏破するにはあまりにも過酷な旅だった。
その先遣隊も、多くが旅半ばで命を落としたという。そして、ようやく隣国へ辿り着いた生き残りも、そこで協力を得ることはできなかった。だが少なくとも、その何人かは国を脱出し、難を逃れたという事実が残った。
先遣隊はそこで、持ってきた鳥かごから伝書鳥を放ち、国に残してきた仲間たちへ知らせを送ったと言われている。その知らせが無事に届いたのかどうかは、今となっては知る方法もないのだが。その日は、彼らにとって忘れることのできない記念日として、“安息の日”と定められた。
かくして彼らが辿り着いたその地には、新たな街が建てられ、故郷と同じタスニカいう名がつけられた。この新たな街が、いかにしてこれほどまでに発展を遂げたのか、それはまた別の物語となるだろう。ひとまずはここで筆を置くことにする。
(タスニカのホテルに残されていた手記より。執筆者不明)